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法華経寺について

中山堂からの法華経寺についてのご案内

法華経寺は国宝である日蓮の立正安国論、観心本尊鈔や重要文化財の五重塔、祖師堂、法華堂、四足門、絹本着色十六羅漢像などがある、日本国内でも大変貴重な、歴史ある建造物です。

鎌倉時代文応元年(1260年)に建設された法華経寺についてご案内させていただきます。

 

五重塔

五重塔

五重塔は、江戸初期の元和8年、本阿弥光悦の甥(姉の子)で、本阿弥光室の本願で父光徳、母妙蜜の菩提を弔うため、加賀藩主前田利光公の寄進により建立されました。

関東地方における近世以前の五重塔は希少で、千葉県では唯一の貴重な文化財であります。

 

法華経寺 黒門

法華経寺 黒門

法華経寺の総門に当たる『黒門』は、山門の朱塗に対して黒塗のためにこの通称名がつきました。

建築年代は不明ですが、様式から江戸時代中頃と考えられています。

正面中央上部に掛かっている扁額は掛川(現・静岡県掛川市)の城主、太田資順の筆によるものです。

 

 

法華経寺 赤門

法華経寺 赤門

江戸初期(寛永13年)の創建で、度々の災害により幾度か再建されて来たが、近年の棟札では江戸時代の文化10年に落成。その後明治3年3月に類焼し、明治19年に再建された。しかし大正6年10月に大爆風雨の直撃にあい倒壊したため、大正末期に再建され現在に及んでいる。

扁額の『正中山』は、江戸初期の寛永三筆の一人、本阿弥光悦の書(市指定文化財)。また仁王尊は、明治18年、山梨県中条の長遠寺と甲府の一連寺の村松日貴住職の奉安である。

 

 

法華経寺 祖師堂

法華経寺 祖師堂

祖師堂は宗祖日蓮聖人を奉安するお堂で、最初は鎌倉時代の正中2年(1325)に上棟した小規模な五間堂でした。その後、焼失などのため幾度か再建があり、現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝6年(1678)に上棟されたものです。屋根は当時でも非常に珍しかった、比翼入母屋造りの堂でしたが、さまざまな問題から巨大な破風を持つ入母屋造りに改造され、優雅な姿から、威厳高い祖師堂へと変身しました。

昭和62年(1987)より、日常大聖人第700遠忌事業として、10年の月日をかけて解体修復工事が行われ、平成9年(1997)に復元が完成し、創建当時の比翼入母屋造りの祖師堂になりました。

祖師堂は大きな7間堂で、屋根を二つ重ねたような比翼入母屋造りが特徴です。このお堂の他に比翼入母屋造りの屋根を持つのは、全国でも岡山県にある吉備津神社本殿(国宝)だけです。

堂内は外陣、内陣、脇陣、後陣からなり、外陣は吹き放し、内外陣には結界を入れ、大きな行事の際にはこれらを空け放って堂内を広く使うことが出来るようになっています。これは日蓮宗の本堂に見られる特有の形式です。内陣は本来板敷きですが、現在は畳を敷き詰めてあります。